INTERVIEW #007 ほっしーさん メンタルハッカー、Youtuber

自らの「うつ病体験」を10年間発信し続けて、
今思うことは「吹っ切れる」ことの大切さ

取材日 2024年11月21日

「もう失敗できない」と思い続けた結果、うつ病になった。
「もうどうなってもいいや」と吹っ切れられたとき、徐々に回復していった。

X(旧Twitter)やYouTubeで自身のうつ病体験を発信し続けているほっしーさん。

うつ病を克服するために試した、様々な取り組みをまとめた「うつマッピング」の投稿では多くの反響を呼び、2024年現在では4.1万いいね、2.4万リツイートを獲得。現在は書籍化もされており、うつマッピングを簡単に作れるアプリの開発も着手されています。

情報発信する上で大切にしていることは、「ポジティブ」であること。同じようにうつ病で悩む人、苦しむ人に向けて、「自分もやってみよう」「自分だけじゃない」と思ってもらえるような温かい発信を心がけています。

今回は、そんなほっしーさんに、うつ病になった経緯から寛解するまで、現在取り組んでいること、そして同じようにうつ病で悩んでいる人とその家族の方に向けての想いを、語っていただきました。

ほっしーのポートレート

PROFILE

ほっしー(星野 良輔)

職業
メンタルハッカー / YouTuber

拠点
福岡県

1
社会人になってから、うつ病になるまで

ほっしーさん

仕事中のメールの文章が、ぐにゃぐにゃに歪んで見えた。

社会人になってからの過酷な労働環境により、うつ病を発症したと伺っています。その時の経緯を教えていただけますか?

経緯というと、学生の頃まで遡っての話になるので、ちょっと長くなるかもしれません笑。

僕は4年制の大学に通っていたんですけど、勉強は全然してこなかったんですね。だから就活のときは当然のように苦労したし、更には東日本大震災のあった年でしたので、めちゃくちゃ厳しい状況でした。

なんとか1社から内定はいただけたのですが、もうとにかくどこでも受ければいいみたいな感じでしたので、「そこに就職先を決めていいのか?」と考えた時に、どうしても「YES」と決断できなくて笑。

それで、両親に頭を下げて「2年間、プログラミングの専門学校に通わせてくれ」と。当時、「システムエンジニア」の働き方に興味を持っていたんです。

就活中もその方面の企業にいくつか応募したのですが、選考は箸にも棒にも掛からない有り様でしたので笑、まずはちゃんと勉強しようと思ったんです。

大学を卒業後に、プログラミングの専門学校に進んだのですね。

はい。親に負担をかけたこともそうでしたし、就職する頃は院卒の人と同じ年齢になるという焦りもあって、その時は「もう失敗できない」という気持ちが強かったですね。

実は、今まで勉強とかまったくしてこなかったんですよ。本当にもう勉強嫌いだし笑、ずっと家でゲームして友達と遊んでみたいな感じのタイプの人間で、せいぜい「一応、言われたら宿題はやる」くらい。学生の頃は読書もほとんどしませんでしたし。

そんな人が、この2年間にすべてを注ぎ込むくらいの勢いで、勉強を始めたわけです笑。授業は毎日真面目に受けて、家に帰ってからも寝るまで勉強して。エンジニア系の国家資格を2つ受けて、合格して。そのうちのひとつは、通っていた専門学校で「合格率3%」と言われていた超難関の資格でした。

それだけでなく、とにかく就職に有利なこと全部やろうと笑。専門学校でオープンキャンパスのリーダーの募集があったら「それ、やります」と立候補したり。

おかげで、就活はめちゃくちゃ楽でした。内定もたくさんいただきました。

すごい笑。努力が報われたのですね。

ええ。ただ、燃え尽きちゃったんですよ、そこで笑。もう本当に限界を超えて頑張り続けて、2年間過ごしてきちゃったから、就職決まった後は抜け殻状態でした。

今思えば、そのときからもう体調は悪かったんですね、うつ状態だったというか。就職してから研修期間が2ヵ月ぐらいあったのですが、毎日微熱もあったんですよね。

加えて、専門学校の成績が良かったことで、会社からは変に期待されてしまっていて。同期は30人くらいいて、研修終了後は大半が東京勤務となったのですが、「君は期待の若手だから、名古屋で立ち上げた少数精鋭のチームに入ってほしい」なんて言われて、同期で1人そこに配属されることになっちゃって。

僕が入社した会社は、システムエンジニアがチーム単位でクライアント企業に出向するいわゆるSIの会社なんですけど、プロジェクトが開始される前に、クライアントとの面談みたいのがあるんですね。上司と一緒に行って、「このメンバーならきっとお役立てできますよ」みたいな紹介があるのですが、そのとき僕は「期待の3年目エンジニア」と紹介されました。まだ入社して数ヵ月なのに苦笑。もう、どんどんプレッシャーばっかり膨らんでいく感じでした。

それは、かなりつらい状況ですね…。

しかも、その出向先の会社、業務が全然回ってなかったんですよ苦笑。営業とエンジニアのコミュニケーションが全然取れてないから、エンジニアの人たちは限界超えてるのに営業がいっぱい仕事取ってくるみたいな流れになっていて、更には、プロジェクトを仕切る人が1人の管理職に集中しちゃってて、その人がいないと何も進まない。それでいて、その人のスケジュールは会議の予定がぎっしり入ってる笑。

だから、「ようやく僕たちのチームの会議ができる」となるのが夜の10時とか。

当然帰宅する時間はいつも深夜帯でしたし、忙しくて周りに相談することもできず、その状態が半年続いて、とうとう本格的に体調を崩しちゃったんです。

体調を崩したというのは、どんな風に現れたのですか?

たとえば、簡単なメールの処理とかもできなくなりましたね。メールの文章が、ぐにゃぐにゃに歪んで見えたりして。

職場からの帰宅中に、帰り道が分からなくなったこともありました。帰宅途中、ふと「あれ、ここはどこだ?家にどうやって帰るんだっけ?」って苦笑。

ええ!!…無事に帰宅できたのですか?

時代的にラッキーだったんですが、今はグーグルマップがあるじゃないですか笑。現在地から自宅までのルートを検索してもらって、ナビ通りに行って帰りました。

まあでも、かなりヤバい状況だったんだと思います。普段だったら「職場から家にどうやって帰るか」なんて、考えなくてもわかることですからね。それが、どんなに考えてもわかんなかったんですから。

あるとき、一番近くで見てくれていた上司が、「お前にしては、ちょっと異様なミスが目立つ」と言ってくれて。少し前の僕だったら絶対ないようなミスが最近頻発していて、それにちょっとなんか様子もおかしいし、最近めっきり痩せてきているから、1回病院行ってこいって言われたんですね。

それでいったん産業医面談を受けて。そこで「精神科の病院で診察を受けてください」と言われて、精神科では「適応障害」と診断されて、1ヵ月間休職することになりました。

休職期間中は、むしろ悪化していく一方でした。診断は適応障害からうつ病に代わり、そして長期休暇を取ることになって。

休職期間中は、どのような状態だったのですか?

正直言うと、その期間中の記憶があんまりないんです。

覚えているのは、とにかくベッドでずっと寝てたっていう。テレビはインターネットも映せるようにしていて、そこでYouTubeとかのアカウントにログインして、多分アニメとか見てたと思うんですけど、BGMみたいにただ流していて。

思考もまとまらないから何もできなくて、ただただ感情が沈んで辛い。

その間、上司がたまに家にやってきて、食料を届けてくれたりしてたんですね。とても優しい上司でした。でも、僕の症状は全然良くならなくて。僕自身は気づいてなかったんですけど、その上司が買ってきてくれた食料を、全然食べてなかったんです。

あるとき、上司から「毎回買ってきてるゼリーが、全然減ってない」と言われて、「自分では食べてたつもりだった」と伝えたところ、「家族の人に看てもらいながら生活した方がいいだろう」ということになって、実家に強制送還されました。

2
「何もできない状態」から「今、暇だな」と感じられるようになるまで

散歩するほっしーさん

実家に戻られてからは、食事は取れるようになったのですか?

はい。ただ、うつの症状は依然強くありました。「少し回復してきたな」と思えるようになったのは、実家に戻ってから2年ほど経ってからですね。

会社からは、月に一度「調子はどうだ」というような連絡をいただいていたのですが、回復の兆候は見られないまま一年が経過したあたりで、退職することになりました。


当時、お医者さんからはどのような診断を受けられたのですか?

いや、特にこれといっては笑。今まで僕を診察してくれた先生からは、「今良くなっています」とか「ちょっと悪くなっています」とか、そういうことはほとんど言われなかったです。なんなら、病名をちゃんと伝えられたこともなかったんじゃないかな。恐らく、症状を詳しく伝えることで逆に影響を与えてしまうだろうと考えていたのだと思います。

ただ、僕自身が「体感」として、良くなっている感覚を持てずにいました。

うつ病の典型的な症状ではありますが、食べることすら非常に億劫でしたから。以前までは毎日それを一番の楽しみにしていたくらいでしたのに。

また、実家で療養中といっても、あくまで休職期間中でしたので、常に会社のことが頭にあるんですね。たまに会社から電話がかかってきますし、傷病手当金の手続きもありました。その度に仕事を思い出して、申し訳なさと、そして「早く治さないと」という焦りがすごくありました。

結局、「ゆっくり、休められている」と思えるようになったのは、退職してからでした。

退職後は、少しずつ回復されていったのですか?

はい。それから、主治医の先生が変わって、処方する薬が変更されたことも大きかったと思っています。

当初、僕は自分のうつ症状を「双極性障害Ⅱ型」と思っていたんですね。だから、先生にもなるべく躁状態と鬱状態の両方を伝えるようにしていて、先生からも双極性障害のときによく出される薬を処方されていました。

ただ、新しい先生から「ちょっと薬を変えてみていいですか?」と相談されて、それが双極性障害以外のうつ病でよく出される薬だったんです。その薬は鬱状態を抑える作用があって躁状態には作用しませんでしたので、(この薬に変えて、躁状態が過剰に出たらどうしよう…?)という不安もありました。

ですが、飲み続けたところ段々と状態が落ち着いてきて。恐らく、処方が合っていたんだと思います。

処方される薬の「合う・合わない」は、やはりとても大きいのですね。

そうですね。これもよく言われていることですが、自分に合った医師や処方薬を見つけることは、うつ病の治療において本当に重要な要素だと思います。

少しずつ、「やりたいと思えること」が増えていって。

症状が改善してからは、どのような変化が見られましたか?

ゆっくりとではありますが、まず、本を読めるようになりました。専門学校でたくさん勉強したおかげといいますか笑、本を読むことはそんなに苦痛ではなくなっていて、それでもうつ症状が重かった時はできなかったのですが、少しずつ読む時間を持てるようになりました。

それから、1日の中で「暇だな」と感じられる時間が出はじめたことですね。暇と感じるということは、結局「何かをしたい」という欲求の裏返しですから。

僕はもともとゲームがかなり好きなタイプだったのですが、「ゲームをやってみようかな」という気持ちも芽生えるようになって、どうせ他にやることもないからと思って1日中ゲームしてみたり。

ゲームをよくやる人なら分かると思いますが、ゲーム中って、集中するから余計なことをあまり考えないんですよね。ちょっとした瞑想状態といいますか笑。ゲーム中にふと、「あ、今、幸せだな」と思ったりして、それで段々良くなっているのかもしれないと感じました。

X(Twitter)の発信も、この頃から始められたのでしょうか?

Twitterは、実は休職期間中からやっていました。はじめのうちは自分から発信するつもりはなく、「自分と同じ病気を抱えてる人と繋がって、話を聞きたい」であったり、「ちょっと友達になれたらいいな」くらいの感覚でした。

当時のTwitterは、検索でもしない限りフォローしている人のコメントしか見られなかったんですよね。だから、自分が本当に欲しいと思える情報だけ入ってくるんです。そして、好きな人とだけ繋がって、好きなことをツイートしあえる。

他の病気もそうでしょうが、うつ病はなった人じゃないと分からないことも多いから、他人と相互理解できて話しあえる場ってそうそう見つからないんです。でも、Twitterなら、「経験者の話を聞きたい」というときも、手軽に相談相手を見つけられます。

Twitterも、うつ病の治療に役立ったということですね。

ええ。ですが、今はサービス名がXになって仕様も大分変わってしまって、アプリを起動するとはじめに「おすすめのツイート」が表示されるようになったので、うつ病の人にあまりお勧めできなくなってしまいましたけどね。

皆が興味を持つおすすめのツイートって、やっぱりネガティブなコンテンツの方が割合として多いんですよね。誰かが亡くなったりとか、凄惨な事故があったりとか。そういうのってびっくりして開いたり、ちょっと見ちゃったりするじゃないですか。それで気分が落ちてしまうこともあると思うので…。

たしかに、マイナス感情を煽るようなツイートも見られますからね。ほっしーさんはその後、Twitterで「情報を発信する側」にもなりましたが、そこではどのような経緯がありましたか?

うつの症状がちょっと良くなったときに、本でこういう内容読んで良かったよみたいな情報を友達にシェアしてたりしてたんですが、そのときにすごく感謝されることが多かったんです。そういうのって、やっぱり嬉しいですよね。誰かの役に立てたというか。「もしかしたら、自分って人に何かを整理して伝えることって、意外と得意かもしれない」と思うようになって。

同時に、当時はうつ病や精神疾患に関して発信されるコンテンツに不満もあったんです。

まず、ネガティブな内容のコメントが結構多かったこと。「薬をオーバードーズしました」「リストカットしました」というような、ときに痛々しい写真も添えられたツイート。本当に、そういうのが多くて。

ポジティブな情報を発信している精神科医の先生もいたんですけど、やっぱりお医者さんの視点というか、当事者の意見とはまた違うんですよね。言っていることは正しいけれど、その通りできるかというと「難しいだろうな」と思うことも多かったです。それから、若干年配の方が多かったからだと思いますが、インターネットページがスマホ用のレイアウトになってなくて笑。すごい小さい字が画面いっぱいに並んでいるのを、目を凝らして読まなければならなかったり笑。

だから、僕と同じようにうつで苦しんでいる人の励みになるような、ポジティブでかつ見やすい情報を、届けたい。──そう思ったのが、「Twitterで情報発信していこう」と決心した理由でした。

3
時間を味方につけること。そして「吹っ切れる」こと。

僕の「強み」を見つけてくれた人

2018年に、Twitterで反響のあった「うつマッピング」をベースにした書籍『うつを治す努力をしてきたので、効果と難易度でマッピングしてみた』が出版されて、その後はYouTuberとしても活動されていますね。

はい。YouTubeは当初本の告知程度しかしていなかったのですが、その頃ネットの友人から「面白い人がいるからちょっと会ってみない?」と誘われてお会いした、Aさんという方から「YouTuberをやってみたら」と勧められたんです。

Aさんは当時キャリアコンサルタントの仕事をしていて、「強みや才能発掘といった自己分析は、この人に聞け」っていうくらい業界で有名な方だったんですけど、「(Twitterやブログの)文字からは、お前の想いは伝わってこないよ」って言われたんですね。

お前は、文章書くのも下手だと思わないし、人に整理したものを伝えるのも上手だとは思う。でも、お前の魅力は絶対リアルにあるから」って笑。

僕は人からたまに「声がいい」って言われることが多かったんですけど、でも全然自分はそんなに思ってなかったんですよ。むしろ自分の声が嫌いだったので。でも、Aさんは「自分で意識していないのに、他人から褒めることは、絶対仕事に取り入れた方がいい」と言ってくれたんです。

まさに、強みを発掘してくれたのですね!

そうですね笑。僕の「メンター」になってくれたといいますか、「人生の先輩」と言えるような方でした。それで、とりあえず言われた通りやろうと、YouTubeを始めた感じでしたね。

結果として、10万登録者までチャンネルを育てられましたし、そのきっかけを作ってくれたAさんには、とても感謝しています。

思い返すと、システムエンジニア時代にいつもゼリーを届けてくれた上司の方や、YouTuberを勧めてくれたAさん、ほかにも普段から支えてくれた人がいて、僕は人に関しては結構恵まれていたんですよね。SNSで繋がったうつ病の人たちの話を聴いていると、僕なんかと比べ物にならないくらい辛い環境にいる人もたくさんいます。つきつめると結局それは「巡り合わせ」で、努力どうこうで何とかなるものではないんですけど、「じゃあなんで僕はうつ病になったんだろう?」って笑。

だから、僕がその巡り合わせの架け橋になれたらというか、今うつ病で悩んでいる人たちの環境を少しでもよくしていける助けになれたら──と、思っています。

今、「チャレンジしたい」と思っていることは──。

今後、チャレンジしたいことは何かありますか?

そうですね。今年(2024年)の10月からYouTubeのチャンネルメンバーシップを始めたんですが、ここでのコミュニティを育てていきたいと思っています。

実は、コミュニティ運営は過去に何回か挑戦したんですけど、その度に失敗してたんですね笑。

失敗の理由は、どうしてもコミュニティのなかで人間関係のヒエラルキーが発生してしまっていたんです。例えばコミュニティ内に10個ほどのグループができたときに、「このグループの人たちはメンバーシップの歴が長い」「この人たちはよくスーパーチャットを投げてる」「ほっしーさんはこのグループの人たちによくコメントしてる」だったり笑。

僕が作るコミュニティはやっぱりうつ病や精神疾患の方の割合が多くなるので、コミュニティの中でそうしたストレスやフラストレーションはあまり感じさせたくない。だから、誰もが平等に、同じような気持ちでリラックスして楽しめる、そんなコミュニティにしていきたいですね。

とてもいいチャレンジですね!

ありがとうございます。ただ、結構難易度は高いと思っていまして笑。よく「うつ病や精神疾患の方のコミュニティは運営が難しい」って言われているんですね。理由は先ほどお話したとおりですが、「じゃあどうするか」については現在模索中です。

ただ、興味がある人はぜひ試しに入会してほしいですね。きっと、今の生活やこれからの人生について、ポジティブになれる気付き・発見が得られると思いますので!


YouTubeチャンネルメンバーシップ「ほっしーのメンタルハックちゃんねる」

チャンネルメンバーシップの入会ページへ →

治るのには、想像以上の時間がかかる。

ほっしーさん

最後に、同じようにうつ病で悩まれている方やそのご家族の方に向けて、なにかメッセージをいただいてもよいですか?

そうですね…。一番伝えたいことは、やっぱり「うつ病の治療には時間がかかる」ということですね。

きっと、皆さんが想像されている何倍も、時間はかかると思います。

当事者の方の場合、「社会復帰すること」をゴールにされることが多いと思いますが、そこに期限を設けたりしたら、きっと余計辛くなってしまいます。

たまに、「2〜3ヵ月で復帰したい」と話す方もいます。ですが、本当にうつ病になったら、僕の経験上だと短くても1年はかかるんじゃないかな。「5年以上かかる」という人もたくさんいます。

ご家族の方も、焦ってしまうと、本当に逆効果ですから。「いつになったら働けるの?」なんて言葉は絶対かけない方がいいですし、リハビリのつもりで「たまには外に散歩にしに行ったら?」って言うのも、本人にとっては大きなプレッシャーになったりします。

「じゃあ、一体どうすればいいの?」という話になるんですけど笑、僕は「吹っ切れてみる」のがいいと思うんですね。仕事ができないし、家でずっとゴロゴロしてるけど、「これでいいや」って思うんです。

「将来どうしよう」だったり「どうやってお金を稼ごう」とかは考えない。だって、うつ症状が重いときにそんな大変なこと考えたって、いい答えは出てこないですよね笑。ご家族の方も同様で、「この生活がいつまで続くんだろう?」「いつになったら働きに出てくれるんだろう?」って考え始めると、自分もどんどん疲れていってしまいます。

もちろん、すぐに吹っ切れることができる人ならそもそもうつ病になっていないでしょうから、それはやっぱり簡単なことではなくて、とにかく、自分のちょっとでも気になることや好きなことを見つけて、そこに意識を向けてみること。

ほっしーさんご自身の、「自分の好きなこと」は何だったのですか?

僕の場合はゲームでしたね笑。1日中ゲームばかりしてた時期が半年間ぐらい続いて、その期間が一番、うつ症状から回復するスピードが速かった笑。

うつ病って本当に怖い病気で、本当に何も行動できなくなっちゃうんですよね。人と話すことはもちろん、食べることも、お風呂に入ることも。病気が、その人の行動をすべて奪ってしまう。

だから、それがたとえゲームであったとしても、「なにかに集中できている」ってすごいことだと思うんです。その行動自体が、日常生活に戻るためのリハビリになっているわけです。

元気な時だって、自分のやりたいことを全力でやるためには、吹っ切れてないとできないことが多いですよね。うつの時も一緒で、まずは、吹っ切れてみる。そして少し症状が落ち着いて「これをやってみたい」と思えるものがあったら、少しずつでもいいから、それに意識を向けていく。

寛解するまで、時間がかかるかもしれない。でも、そこで焦らずに、「今、吹っ切れているな」と思える時間を少しでも多く、──これは当事者だけでなく、ご家族の方も含めて、持ってほしいですね。


あなたのモヤモヤも、
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