私は現在、食品卸売の自営業を営んでいますが、かつては、仕事にやりがいなんて不要だと頑なに信じていた時期がありました。きっかけは、若い頃に直面した阪神・淡路大震災と、その後の不況で周囲の会社が次々と倒産していく光景です。
相談者さんのお父様と同様、必死に積み上げたものが一瞬で消える無慈悲な現実を目の当たりにし、頑張っても無駄だ、食い繋げればそれでいいという冷めた虚無感に支配されました。当時はただ淡々と、機械的に荷物を運び、帳簿をつける毎日。
心はどこか死んでいて、仕事は苦役でしかありませんでした。やりがいという言葉を耳にするたび、実体のない綺麗事のように感じて、吐き気がしたのを覚えています。
自分の仕事が誰かの喜びにつながると知った日
転機は、ある日の配達先での何気ない出来事でした。いつも通り、事務的に納品を済ませようとした際、小さな食堂の店主から、あんたが持ってきてくれる食材のおかげで、昨日のお客さんが、久しぶりに美味しいものを食べたって泣いて喜んでくれたんだよ。ありがとうと言われたのです。
その時、ハッとしました。私はただ、物を運んでいるだけの機械だと思っていましたが、その先には誰かの生活や喜びが確実に存在している。私の食い繋ぐための作業が、巡り巡って誰かの小さな幸せを支えていたのです。大きな夢や志なんてなくても、目の前の箱を一つ丁寧に届けるだけで、社会のどこかの歯車が滑らかに回る。その事実に気づいた時、喉のつかえが取れたような気がしました。
日々の積み重ねが、静かなやりがいにつながった
劇的に仕事が楽しくなったわけではありません。今でも退屈な事務作業や厳しい交渉はあります。しかし、心の持ちようは大きく変わりました。立派な目標を探すのをやめ、目の前の100円の利益や、一回の配送を誠実にこなすことに集中するようになったのです。
すると不思議なもので、機械的だったルーティンがプロとしてのリズムに変わりました。Web運営も取り入れるなど、小さな挑戦を積み重ねるうちに、やりがいとは、見つけるものではなく、日々の積み重ねの隙間に、いつのまにか滲み出ているものなのだと気づきました。
現在は57歳になりますが、倒産や失敗を恐れる気持ちよりも、今日という一日をどう丁寧に回すかという静かな自負を持って働けています。
相談者へのメッセージ
やりがいなんて、すぐに見つからなくて当然です。お父様のことを間近で見てきたあなたなら、仕事の怖さを知っている。それは逃げではなく、立派な危機管理能力です。
まずは、食べていくために徹していい。その代わり、目の前の作業を少しだけ丁寧にやってみてください。あなたの手元を離れた仕事が、誰かの元でどう役立っているか。それを想像できた時、凍りついた心が少しだけ溶けるはずです。