今の時代は「生きづらい」「昔より不幸」なのか?幸福になるのが難しくなった理由
「今は、生きづらい時代だ」「昔はよかった」──そう感じる瞬間はないでしょうか。
仕事がまったくないわけではない。スマホを開けば、情報も娯楽もいくらでもある。買い物も、連絡も、調べものも、昔よりずっと簡単になりました。それでも、ふとした瞬間に不安が押し寄せてくることがあります。
老後のお金は足りるのか。給料はこの先も上がらないのか。自分の健康は大丈夫なのか。この働き方を、あと何十年も続けられるのか。そもそも、自分は何のために働き、どう生きたいのか。
生活は便利になったはずなのに、心は軽くならない。むしろ、考えるべきことだけが増えているように感じる。
では、私たちは本当に、昔の人より不幸なのでしょうか。
もしくは、今の私たちが感じているこの重さは、過去の人々が抱えていた不安と同じものなのでしょうか。それとも、まったく別の種類の不安なのでしょうか。
この記事では、1920年代から現代までの日本社会を、統計や世論調査、各時代の空気を映した小説を手がかりにたどっていきます。
1920〜40年代:生き延びることが幸福だった時代【1章】

もし、いま自分が抱えている不安を、100年前の人に打ち明けられたとしたら、話は通じるでしょうか。
老後の生活設計、上がらない給料、自分らしい働き方。どれも切実な悩みです。けれど、その日を生き延びることに精一杯だった時代の人にとっては、どこか遠い、ぜいたくな悩みにすら聞こえたかもしれません。
1920年代から40年代の日本。この時代の不幸は、「自分らしく生きられない」「将来が見えない」といった現代的な悩み以前の、もっと直接的なものでした。食べられるか。働けるか。家族を守れるか。そして、戦争を生き延びられるか。
まずは、現代とは比較にならないほど「生存の条件」が厳しかったこの時代から、100年の旅を始めましょう。
職を選べる時代ではなかった
統計をたどると、この時代の日本の人口は増え続けています。

| 年 | 人口 |
|---|---|
| 1920年 | 約5,596万人 |
| 1930年 | 約6,445万人 |
| 1940年 | 約7,311万人 |
人は増えていました。けれど、その人たちの多くが立っていた暮らしの土台は、いま私たちが思い浮かべる「会社員として働く社会」とは大きく違っていました。
1920年の時点で、働く人の54.9%は農業や漁業など第一次産業に従事していました。働き手の半数以上です。産業化が進んだ1940年でも、その割合はなお44.6%を占めていました。
多くの人にとって、仕事とは生まれた土地で家業を継ぐものでした。「どんな職業に就くか」「どんな働き方をしたいか」を自分で選ぶという発想そのものが、まだ一般的ではなかったのです。
キャリアに悩むという現代的な苦しさは、そこにはまだありません。代わりにあったのは、選べないことの重さと、日々の暮らしを途切れさせないための労働でした。
出典:総務省統計局「平成22年国勢調査 最終報告書 日本の人口・世帯 第8章 産業」
子どもが大人になれるか、それ自体が問われた

この時代の厳しさを、もっとも象徴するのが平均寿命です。

平均寿命がここまで低かった最大の理由は、乳幼児や子どもの死亡率が非常に高かったことにあります。生まれて間もない子や幼い子どもが多く亡くなり、その数が全体の平均を大きく押し下げていました。
だからこの時代の「生存の不安」は、長く生きられるかどうかというより、生まれた子が大人になるまで生き延びられるかどうかにありました。我が子が無事に育つ。それ自体が、いまよりもずっと切実な幸福だったのです。
戦争が、暮らしの隅々まで入ってきた
そして1930年代後半、人々の生活は、さらに別の大きな力に握られていきます。戦争です。
1938年、国家総動員法が制定されました。戦争を続けるために、国は労働力や物資、企業活動、そして国民生活そのものを統制できるようになります。
それは、兵士として戦場に向かう人だけの問題ではありませんでした。工場で働くことも、物を作ることも、日々の買い物も、少しずつ戦争と切り離せなくなっていきます。
なかでも、暮らしの変化がもっとも身近に表れたのが「食」でした。
1941年、東京や大阪などの六大都市で、米穀配給通帳制度が始まります。米は、自由に好きなだけ買えるものではなくなりました。11歳から60歳までの配給量は、1日あたり330g。米を買うには通帳が必要で、食べられる量そのものが国によって管理されるようになったのです。
出典:国立公文書館「昭和13年(1938)4月 国家総動員法が制定される」
出典:アジア歴史資料センター「お米を買うのに通帳が必要だったの?」
小説で覗く、当時の暮らし——小林多喜二『蟹工船』
統計が描けるのは、社会の輪郭です。そこに生きた人の体温は、ときに小説のほうがよく伝えてくれます。
1929年に発表された小林多喜二の『蟹工船』は、オホーツク海でカニを獲り、船の上で缶詰に加工する労働者たちを描いた作品です。そこにあるのは、過酷な労働、刺すような寒さ、暴力、そして病気でも休むことを許されない日々です。
「風邪をひいているものも、病気のものも、かまわず引きずり出した。」
「体が資本」という言葉があります。けれどこの時代、多くの人にとって体は資本ではなく国や雇用主のもので、もっと言うとそれは「消耗品」に近いものでした。
健康な体で生き延びること。それ自体が、簡単には手に入らない時代だったのです。
1950年代:貧しさの中に、明日はよくなる感覚があった時代【2章】

1章で見たのは、生き延びることそのものが幸福だった時代でした。やがて戦争が終わり、日本は焼け跡から立ち上がっていきます。
1950年代の暮らしは、まだ貧しいものでした。けれど、1920〜40年代とは決定的に違うものが、人々の心に芽生え始めます。「今は苦しいけれど、これからよくなるかもしれない」という、上向きの感覚です。
数字の上では、まだ貧しかった
戦後の復興は進みつつありました。それでも、暮らしはまだ厳しいものでした。

1950年の消費水準は前年より5%向上し、戦前の82%まで回復しました。とはいえ、都市の実質消費水準は戦前の73%、勤労者世帯の実質収入は76%にとどまります。月収15,000円以下の層では、家計が赤字でした。
家計に占める食費の割合を示すエンゲル係数も、都市部で1949年の60%から1950年には57%へと下がります。食べることに追われる暮らしが、ほんのわずかに緩み始めた——その程度の回復でした。
数字だけを見れば、まだ「豊か」とは程遠い。けれど大事なのは、水準が下がっているのではなく、上がっている途中だったということです。
寿命が、はっきり伸び始めた
回復の実感は、平均寿命にもはっきり表れます。

1章で見た平均寿命は、40代でした。それがわずか十数年で、60代にまで伸びています。医療や栄養、衛生環境の改善が、数字となって表れ始めたのです。
「生き延びられるか」という問いに、社会全体が少しずつ「はい」と答えられるようになっていく。それも、この時代の上向きの感覚を支える土台でした。
「もはや戦後ではない」と、三種の神器

1956年、経済白書はある有名な一文を記します。
「もはや戦後ではない」。
ただし、この言葉はよく誤解されます。「もう日本は豊かになった」という宣言ではありません。むしろ、戦後復興という特殊な局面が終わり、これからは自分たちの力で近代化と成長を目指さなければならない——そうした、やや厳しい問題提起の文脈で書かれた言葉でした。
それでも、人々の暮らしには、希望の形が具体的に見え始めます。1950年代後半、次の3つの家電が「三種の神器」と呼ばれ、豊かさの象徴になっていきました。
| 三種の神器 |
|---|
| 白黒テレビ |
| 電気洗濯機 |
| 電気冷蔵庫 |
まだ手の届かない家庭も多かったけれど、「いつかは我が家にも」と思える目標がありました。来年は、再来年は、もっとよくなる。その実感こそが、この時代の希望でした。
出典:内閣府・経済企画庁「昭和31年度 年次経済報告 結語」
出典:内閣府経済社会総合研究所 資料
小説で覗く、当時の暮らし——山崎豊子『暖簾』/源氏鶏太『三等重役』
統計が描く「上向き」の感覚は、当時の小説にも息づいています。
山崎豊子の『暖簾』は、大阪・船場の昆布商を舞台にした物語です。戦争で店も商品も失った主人公が、それでも商人の意地と「暖簾」を守るため、裸一貫から商売を立て直していきます。失ったものを嘆くのではなく、もう一度ゼロから積み上げていく。その姿には、復興期の人々が共有していた、前を向く力が重なります。
源氏鶏太の『三等重役』は、戦後に生まれたサラリーマン社会を、軽妙でユーモラスに描いた作品です。人事や出世に一喜一憂する会社員たちの姿は、深刻な貧しさよりも、「働けば、明日は少しよくなる」という、どこか明るい空気をまとっています。
この時代の希望は、すでに満たされていることではありませんでした。今は足りない。けれど、これからよくなると信じられる。その一点に、人々は支えられていたのです。
1960〜70年代:成長の幸福と、その副作用が見え始めた時代【3章】

2章で芽生えた「これからよくなる」という感覚は、この時代、現実のものになっていきます。高度経済成長です。生活は、目に見えて豊かになりました。
けれど、成長は幸福だけを運んできたわけではありませんでした。豊かさと引き換えに、これまでなかった種類の問題も、社会の表面に現れ始めます。この章では、その光と影の両方を見ていきましょう。
豊かさが、目に見えて手に入った
1960年、政府は国民所得倍増計画を打ち出します。10年間で実質国民総生産を倍にするという、野心的な目標でした。結果として、その多くは1960年代の半ばまでに達成され、高度成長の象徴となります。
社会の形も大きく変わりました。1960年の国勢調査では、第三次産業で働く人の割合が、ついに第一次産業を上回ります。1章で見た「働き手の半数が農業」という社会は、ここで姿を変えました。人々は農村から都市へ移り、会社やサービス業で働くようになっていきます。
出典:内閣府「国民所得倍増計画」関連資料
出典:総務省統計局「国勢調査のあゆみ」
豊かさは、寿命にも表れます。

1章では40代、2章では60代前半だった平均寿命が、ついに70代へ届きます。長く生きられること。それは、まぎれもない幸福の「はず」でした。
成長は、影も連れてきた

豊かさの裏で、別の問題が深刻になっていきました。そのひとつが、公害です。
工場が生み出す煙や排水は、経済成長の勢いそのままに、人々の体と暮らしを蝕んでいきました。四大公害病が大きな社会問題となり、1970年には公害対策を集中的に審議する、いわゆる「公害国会」が開かれます。
成長とは、ただ豊かさをもたらすだけのものではない。その代償が、人々の健康という、もっとも切実なところに表れ始めたのです。
成長が、止まった日
「来年は、もっとよくなる」。2章から続いてきたこの感覚に、初めて急ブレーキがかかる日が訪れます。
1973年、第一次石油危機。原油価格が急騰し、トイレットペーパーや洗剤を求めて人々が店に殺到しました。商品は店頭から消え、生活不安が一気に広がります。翌1974年、日本は戦後初のマイナス成長に陥り、物価の急騰は「狂乱物価」と呼ばれました。
このときの人々の気持ちの変化は、世論調査にもくっきりと表れています。

出典:内閣府「国民生活に関する世論調査 長期時系列データ」をもとに作成
1960年代を通じて、生活が前年より「向上している」と感じる人は、おおむね4人に1人ほどいました。ところが1974年、その割合は一気に1割を切るところまで落ち込みます。入れ替わるように、「低下している」と答えた人が3割を超えました。
成長は、永遠に続くものではない。「来年はよくなる」という前提は、当たり前ではなかった。この時代の人々は、それを初めて思い知ったのです。
出典:資源エネルギー庁「第一次石油危機」
出典:内閣府「長期経済統計 物価」
小説で覗く、当時の暮らし——有吉佐和子『恍惚の人』/村上龍『限りなく透明に近いブルー』
成長がもたらした2つの副作用を、当時の小説は鮮やかに描き出しています。
ひとつは、長く生きられるようになったことの、思わぬ重みです。
有吉佐和子の『恍惚の人』は、認知症が進んだ老人と、その介護に追われる家族を描いた作品です。1972年に発表され、大きな反響を呼びました。
寿命が伸びることは、幸福のはずでした。けれど長寿社会は同時に、誰かが誰かを長く支え続けなければならない社会でもあった——そのことを、この小説は静かに突きつけます。
「こんなにしてまで生きたいものかな」
出典:日本赤十字九州国際看護大学 図書館ブックレビュー『恍惚の人』
もうひとつは、豊かさのその先に残る、空虚です。
村上龍の『限りなく透明に近いブルー』は、米軍基地のある街で、薬物やセックスに明け暮れる若者たちを描いた作品です。物はある。自由もある。けれど、何のために生きるのか——その答えは、どこにも見当たりません。豊かになったはずの社会で、若者たちはむしろ生きる意味を見失っていきます。
「今からねパーティなのよ、パーティ!」
豊かになれば、人は自動的に幸せになる。長く生きられれば、それでいい。——そんな前提が、この時代に静かに揺らぎ始めました。私たちがいま感じている不安の根っこは、ここから少しずつ伸びているのかもしれません。
1980〜90年代:豊かさは完成したが、未来の約束が壊れた時代【4章】

3章で揺らいだのは、「豊かになれば幸せになれる」という前提でした。それでも1980年代の後半、日本は豊かさの頂点に立ったように見えます。
けれど、1990年代に入ると、その足元が崩れていきます。バブルの崩壊です。このとき壊れたのは、景気のよさだけではありませんでした。「まじめに働けば、未来はよくなる」という、戦後ずっと信じられてきた約束そのものでした。
豊かさは、頂点に達した――ただし、代償とともに
1980年代後半、日本はバブル景気に沸きます。好景気は、おおむね1986年11月から1991年2月まで続きました。
雇用環境も良好でした。1988年度の完全失業率は2.4%。有効求人倍率は1.08倍と、15年ぶりに1倍を超えます。働きたい人の数より、働き口のほうが多い。そんな時代でした。
働き方の制度も動き始めます。1985年に成立し、翌86年に施行された男女雇用機会均等法は、女性の働き方を変える一歩でした。ただし、採用や昇進などは当初「努力義務」にとどまる部分も多く残っていました。
けれど、豊かさの裏側では、別の影も濃くなっていきます。「働きすぎ」です。1980年代後半には過労死が社会問題として注目され始め、1988年には「過労死110番」が始まりました。働いて豊かになることの代償が、人の命にまで及び始めていたのです。
出典:内閣府経済社会総合研究所「景気基準日付」
出典:内閣府「平成元年度 年次経済報告 労働」
出典:厚生労働省「男女雇用機会均等法制定時の概要」
出典:厚生労働省「過労死等防止対策白書」関連資料
「まじめに働けば報われる」が、壊れた

1991年、バブルは崩壊します。そして、長い後退局面が始まりました。
雇用の安定は、目に見えて崩れていきます。完全失業率は1995年以降3%を超え、2002年には5.4%に達しました。「会社に入れば一生安心」という前提は、もはや当たり前ではなくなります。
働き方そのものも変わりました。非正規雇用は1990年の881万人から増え続けていきます。正社員として働き、年功で給料が上がり、定年まで勤め上げる——そんな「順番通りの人生」を、誰もが歩めるわけではなくなったのです。
出典:厚生労働省「平成18年版厚生労働白書 資料」
出典:総務省統計局「統計Today No.97」
数字が映した、いちばん重い影
90年代の不安は、もっとも痛ましい形でも表れました。自殺者数です。

1997年に24,391人だった自殺者数は、翌1998年、32,863人へと一気に跳ね上がります。その差、およそ8,500人。以後、自殺者数は14年にわたって3万人を超え続けました。
景気の数字が語る不況の裏側で、これだけの数の命が失われていた。グラフの段差は、「未来の約束が壊れた」という言葉が、決して大げさな比喩ではなかったことを物語っています。
小説で覗く、当時の暮らし——桐野夏生『OUT』/吉田修一『悪人』
この時代の閉塞感を、当時の小説は容赦なく描いています。
桐野夏生の『OUT』は、深夜の弁当工場で働く主婦たちを主人公にした物語です。家庭があり、仕事もある。それなのに、そのどちらにも居場所がなく、暮らしから抜け出すこともできない。豊かなはずの生活の内側に空いた、出口のなさが描かれます。
「こんな暮らしから抜け出したい」
吉田修一の『悪人』は、地方で働く若者たちの孤独と断絶を描いた作品です。問われているのは、「誰が悪人なのか」だけではありません。誰にも必要とされていない——そう感じてしまう、社会の冷たさそのものです。
「大切な人はおるね?」
「会社に入れば安心」「給料は上がる」「人生は順番通りに進む」。そうした感覚が大きく揺らいでいったのが、この時代でした。いま20代・30代が感じている将来への不安。その源流は、すでにこの頃から流れ始めていたのです。
2010年〜現代:意味と将来の不安を抱える時代【5章】

そして、ようやく現代にたどり着きます。
ここまで見てきてわかるのは、現代は過去より「単純に不幸になった」わけではない、ということです。戦争も、飢えも、極端な物不足も、短すぎる寿命も——1章から4章でたどってきた不幸の多くは、過去と比べれば大きく減りました。
過去のような不幸が減ったのなら、私たちはもっと幸せを感じてよいはずです。けれど、現実はそう単純ではありません。現代には、現代固有のしんどさがあります。
2010年代は、東日本大震災とともに始まりました。死者18,131人、行方不明者2,829人、負傷者6,194人。大きな災害の記憶を抱えながら、私たちはこの時代を生きています。
大きな不幸は、確かに減った
私たちは、餓えて死ぬことをほとんど心配せずに暮らしています。子どもが大人になれないかもしれない、という1章の不安も、いまは遠いものです。戦争のさなかで配給通帳を握りしめることもありません。
仕事がないわけでもありません。2025年平均の完全失業率は2.5%。就業者数は6,828万人にのぼります。数字の上では、「働きたくても働けない社会」ではないのです。
だとすれば、なぜ私たちはこれほど将来に不安を感じるのでしょうか。
働いていても、安心できない

カギは、「仕事があるかどうか」ではなく、「働いていても安心できるかどうか」に移っています。
非正規雇用は2,128万人、働く人の36.5%を占めます(2025年平均)。雇用の形は、かつてのように一様ではありません。さらに2023年は、名目の賃金が増えても物価の上昇に追いつかず、実質賃金は減少しました。人手不足も深刻ですが、それは一時的な好景気によるものではなく、「長期かつ粘着的」な、人口構造と結びついた課題だと整理されています。
加えて、コロナ禍は、テレワークをはじめ、働き方や暮らし方の前提そのものを揺らしました。
こうした不安定さは、人々の実感にも表れています。2025年の世論調査では、生活が前年より「向上している」と答えた人はわずか5.3%。「低下している」は34.8%にのぼりました。現在の所得・収入に不満を感じる人は65.0%、資産・貯蓄に不満を感じる人は70.1%でした。
3章で見た、1974年に「向上している」が1割を切ったあのグラフを思い出してください。あの落ち込みは、石油危機という明確なショックによるものでした。
けれどいまの低さは、特定の事件のせいというより、もっと慢性的なものになっているのです。
出典:総務省統計局「労働力調査 2025年平均」
出典:厚生労働省「令和6年版 労働経済の分析」
出典:内閣府「新型コロナウイルス感染症の影響下における生活意識・行動の変化に関する調査」
出典:内閣府「国民生活に関する世論調査 令和7年8月調査」
私たちは、何に不安なのか
では、その不安の正体は、いったい何でしょうか。
同じ世論調査によれば、日常生活で悩みや不安を感じている人は、78.1%。8割近くにのぼります。その内容の上位は、次のとおりでした。

老後の生活設計、自分の健康、今後の収入や資産の見通し。どれも、すぐに答えの出るものではありません。そして、この不安は単なる気分の問題でもありません。
2024年の出生数は686,061人で過去最少。合計特殊出生率は1.15で、過去最低を記録しました。一方、死亡数は約160万人で過去最多となり、人口の自然減は約92万人。65歳以上の人口は3,624万人、高齢化率は29.3%に達しています。
老後への不安は、気の持ちようではありません。支える側が減り、支えられる側が増えていく——その人口構造そのものと、分かちがたく結びついているのです。
出典:厚生労働省「令和6年 人口動態統計月報年計(概数)の概況」
出典:内閣府「令和7年版高齢社会白書」
小説で覗く、いまの暮らし——村田沙耶香『コンビニ人間』/宇佐見りん『推し、燃ゆ』
現代のしんどさは、いまを生きる作家たちの小説に、くっきりと刻まれています。
村田沙耶香の『コンビニ人間』の主人公・古倉恵子は、マニュアル化されたコンビニの仕事のなかで、自分が社会の一部として正しく機能できる感覚を得ています。けれど、結婚も正社員という道も選ばない彼女は、「普通」から外れた奇妙な存在として、周囲から見られてしまう。働く場所はある。それでも、「普通」の人生のかたちから外れることへの視線は、いまも厳しいのです。
「そのとき、私は、初めて、世界の部品になることができたのだった。」
宇佐見りんの『推し、燃ゆ』では、アイドルなどの「推し」が、主人公の生活の中心に置かれています。それは単なる趣味ではありません。学校も家族も仕事もうまくいかないとき、それでも自分を保つための支え——本人の言葉を借りれば、「背骨」のようなものとして描かれます。
「だけど推しを推すことがあたしの生活の中心で絶対で、それだけは何をおいても明確だった。中心っていうか、背骨かな。」
生きる意味や、自分の居場所を、自分の力で見つけ、支えなければならない。現代のしんどさの核心は、ここにあります。
100年をたどって、見えてきたこと。「生存の不安」から「意味と将来の不安」へ【まとめ】

1920年代から現代まで、100年の日本社会をたどってきました。
見えてきたのは、今の時代が過去より単純に不幸になったわけではない、ということです。かつての不幸が「生存の不安」だったとすれば、現代の不幸は「意味と将来の不安」に近いものなのかもしれません。
戦争、飢え、短命、極端な物不足。そうした不幸の多くを、社会は少しずつ乗り越えてきました。だからこそ私たちはいま、「どう生きたいのか」「どんな未来を選びたいのか」という問いの前に立っています。
それは、決して軽い問いではありません。自由に選べることは、同時に、自分で考え続けなければならないということでもあるからです。
| いま問い直したいこと |
|---|
| いま感じている不安は、何への不安なのか。 |
| 収入、仕事、健康、人間関係、老後、孤独、自分らしさ——その中で、いちばん重く感じているものは何か。 |
| 今日、新しく考えてみること、試せることはあるか。 |
未来は、どこか遠くに完成された形で待っているものではありません。今日の小さな行動の積み重ねの中で、少しずつ手ざわりを持ちはじめるものでしょう。
おそらく、それは大きな一歩を踏む必要はなく、たとえば、働き方を少し見直してみる。誰かとの距離を少し変えてみる。学び直してみる。気になっていたことを、小さく試してみる。
その先に、現代を生きる私たちなりの幸福の形が、少しずつ見えてくるのかもしれません。
あなたのモヤモヤも、
言葉にしてみませんか?
今の時代は「生きづらい」「昔より不幸」なのか?幸福になるのが難しくなった理由に何かを感じたら、
あなたの想いを誰かに聞いてもらったり、誰かの体験談に触れてみましょう。